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順番にお読みいただくと解りやすいと思います。

​お問い合わせ・ご質問のページもありますので、ヘッダーの目次もご利用くだい。

​ホームページの主旨

難病というカオスから自分を取り戻す

重症筋無力症 治ります

希望の光に向かって

前進しましょう

体が自由になる時

自分を実感します

それは薬をやめた時に始まります

 

薬をやめても生きられると確信した時

希望の光が輝きだします

自分の細胞の声を聴いて

赤ちゃんを育てるように

大切に生きていきましょう

 

これから少しずつ

その道のりを書きます

書けないこともあります

ただただ「治せます」と

​お伝えしたいのです

希望を持つ人が

​ひとりでも増えますように

 

 

 

薬をやめるということ

​<自由な体に>

処方  発症から2年 治療無し ・・・ 当時ステロイドしか候補がなく 新婚で出産希望だったため

    3年目から19年間  ・・・・ マイテラーゼ 3錠/1日 

    7~8年目  ・・・・・・・・ プレドニン少量 様子を見る目的で2か月ほど

   

薬をやめたいと思ったきっかけ

    20年目に入ったころ、「マイテラーゼを半分に減らしましょう」と神経内科で言われました。

    その頃は、家庭にもパソコンがあり、子供3人がそれぞれ学校に行った後、改めて薬や病気のことを

    調べました。

    以前、図書館で調べたり、病院で聞いていたこととは全く違うように思いました。

    マイテラーゼ3錠は、MAXの量でした。

    薬を飲みすぎれば、病気の症状がかえって出てくること、呼吸困難になると自発呼吸できないので

    応急処置としてマウスtoマウスで医療現場に向かわないと呼吸が停止してしまうことなど

    明日にも起こりそうなことが、色々書かれていました。

    

薬をやめるにはどうしたらいいのか 葛藤

    とにかく減らすべき理由がわかり、1錠を半分に切って昼・夜は半錠としました。

 

    が、2日目には、疲れやすい気がしたり、唾液が出てくる違和感を感じました。

 

    何度も挑戦して、結局減らせずマイテラーゼは「命綱」になっていました。

    そんな時 身近な人の意外な言動を目の当たりにしたショックで 全身の力が抜けてしまいました。

    翌日 整体院で ふいに「今呼吸していましたか」と聞かれ 

 

    そう言われれば、ただ静かな時間が過ぎていて意識が無かった気もしました。

    死が身近になり 明日の朝は無いかもしれないと 人ごとのように思うようになりました

   

    

難病の顔

    そんな頃、難病になったある女性の半生記に出会いました。

    子供時代や思春期のころの写真も載っています。

    その写真をパラパラと見た時、「私と同じ顔だ」と感じました。

    少し前、濁ってしまった水槽を掃除してから元気に泳ぎだした金魚を見て             

 

    「酸素が足りなかったんだ」と思ったことも思い出しました。

    その足で図書館に行き、医学書の背表紙を当てもなく、片っ端から見ていきました。

 

    書棚の最後で無意識に手にした本を開き、目に入った「ミトコンドリア」という言葉で

    生活が一変しました。

 

薬をやめられる確信

    一気に本を読みました。

 

    呼吸のこと、睡眠時間のこと、食事のこと、体温のこと、姿勢のこと

    どれをとっても、当たり前のことが書いてあるけど、出来ていないと思いました。

    子供たちに言う以上に、自分のことも可愛がろうと心底反省し、

    本にあることを実践しました。

​    金魚の水槽をきれいにしたように、自分の環境も変えようと思ったのです。

 

    丸2日で、薬をやめても生きられると確信しました。

    その自信がどこから来たのか本当に不思議ですが、心の持ちようも体も変わったのです。

薬をやめてみて思うこと

    見えない力で心身ともにコントロールされていたように思います。

    左目の眼球・眼瞼下垂は、まだ完治しませんが、薬をやめてすぐ、眼球がフリーになりました。

    角度が変わってしまっていたのが戻り、充血も消えていきました。

    2009年2月3日にやめて、まもなく8年です。

    全身の症状はもう、全くありません。初めは、発作的に脱力したりしましたが

    他にも、アレルギー症状、手の荒れ、鼻声、肩こりなど、どんどん

    なくなっていきました。

    もともと、アクティブでスポーツ好きですが、

 

    やたら早く歩けたり、汗びっしょりになってもがんがん動けていたのは

 

    マイテラーゼによるものだったのかなと、やめてから思います。

    薬が抜けていく時は、体力が奪われていく感じでした。

    今、8年を経て、眼の若干の症状も、やがて消えると信じており、エネルギーも充実し

    30年間の色々な思いは、もう振り返ることは無くなりそうです。

    ですが、薬から解放される心と体の喜びを、一人でも多くの方に味わってほしいのです。

    薬によっては、急にやめることは危険ですし、安定している生活を離れる勇気も要ります

    マイテラーゼをやめた話は、医療関係の方達には「考えられないほどの驚き」の様でした。

    ただ、やめてみて思うことは、「良かった」の一言です。

    

​自分の体を生きるということ

とはいえ、今、症状が安定していたり、自分は軽い方だからいいと考えるお気持ちもわかります。。

私も、21年弱の間、難病とはそういうものと思っていましたので、理解できます。

ですが、生きてきた道を知っているのは、自分自身だけです。

この先の道を、病院の先生に委ねてしまうなら、もう、自分の人生じゃないと、私はそう思ったのです。

そして本当に知りたいことは、自分の体だけが教えてくれます

右と左の目で見える色が違うとか、

 

細胞が生まれ変わる時、伸びてしまった動眼筋も生まれ変わるのかとか、

 

ひとつに見えないことで、ピアノを弾く時両手の動きに影響していないかとか

そういう不思議をいつも心に抱きます。病院では、うまく聞けませんし答えもありません。

 

が、治癒に向かう8年の間、体中の癖と向き合い、治しながら、そういうことは、自分で感じることなんだ

 

とようやく思いました。

自分で自分をコントロールできること喜びは、21年間の難病生活なしには気づけなかったものです。

今はひとりでも多くの方と、喜びを分かち合い、本当の希望の日を迎えたいと思います。

​詳しく知りたい方へ

病状もきっかけも、お一人ずつ違うと思います。

それでも、改善の余地がある方、薬を離れられる方は、少なくないと思います。

突然やめることは危険ですし、治そうと自分自身が決めることが第一歩です。

私でお力になれることがあれば、協力したいと思います。

もっと詳しく知りたいと思われる方、どうぞ、ご連絡ください。。

公開した理由

発病した時一番知りたかった情報は「治った人がいるか」ということでした。

当時は30年前で、病気自体不明な点が多く情報が無かったうえ、家庭でPC検索などできませんでした。

 

今は、あふれるほど情報がありますが、本当に知りたいことが見つけにくく、他の人の症状と比べたり、

 

データとして、色々な治療法の効き具合を比べたりしていると、自分の問題とは、かけ離れていく気がし

 

ます。医療情報は、統計的なデータです。

治らないことが前提で、現状維持なら良しとする妙な安心感を押し付けられ

「治りました」という声は無く、「難病」という名のもとに屈するしかない情報ばかりでした。

 

ですが、治癒への道に目覚めてみると、霧が晴れたように突き進めたのです。今、混沌とした空間で、

模索している方達に、是非、きっかけを掴んで欲しいと願っています。

「治しました」という情報を、ここに提供します。

命にかかわることですから、決して、軽い気持ちではありません。

ただ、一人一人症状も環境も違うのに、同じ診断を受けたという理由で、他の人と同じ治療を次々や

 

ってみるという選択は、もっと危険ではないでしょうか。

 

おひとりでも、難病というカオスから抜け出してほしいと願っています。

当時の情報が欲しかったという思いと、回復してゆく喜びを共有したい思いが、原動力となって

公開しています。

本当の喜びを、自分の体で感じる日を迎えたなら、それまでの年月が長いほど、そして辛いほど、喜びも

大きく幸福です。想像してください。それが「きぼうのひ」です。

私自身、日々、確かな希望の日に向けて、心身を整えています。

一緒に、進んでいきましょう。光に向かって進めばトンネルの出口です。​

では、どのように、治癒への希望を見出したのか、書ける範囲でお伝えします。「初めの一歩から」のページをお読みください。

​下のボタンからも、移動できます。

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