top of page

​<初めの一歩​から>

      《プロセス 重症筋無力症をやめる​ために》

​ ひとつでも、心に響いて回復へのきっかけになりましたら幸いです。

 *体温を上げる

 *夜8時間以上の睡眠をとる

 *食事・・・温かいものだけ。よく噛む。

 

 *徹底した鼻呼吸

 *いつでも温かくしている

​ *腹式呼吸による呼吸法

​初めに取り組んだこと(2009.2.1~)

「そんなこと?」が大事でした

上記のことに取り組んだのは、ある本との出会いがきっかけです。

本には、重症筋無力症のことが書いてあるわけではありません。

私が読み取ったのは、人の体を原点に返って考える方法です。

​ミトコンドリアに、きちんと酸素を供給しているかということが、まず自分

 

への問いかけでした。

植物が光合成をして成長するのに、光と適温と栄養を欲するように、

ヒトは、呼吸して生きてゆくために、やはり光と適温と栄養が必要であり、

さらにどちらも、何かが欠けても何とか枯れずに(死なずに)いられます。

4時間しか寝ていなくてもすぐ死なないし、35.8度の体温でも日常困りはしませ

ん。鼻が悪くても口で呼吸できます。冷たいものを飲食しても体温を一定に保つ

ことはできます。植物も、地上部を枯らしながら根っこだけで、踏ん張っていること

があります。

免疫を活性化する方法として、上記のように生活を徹底してみることは、

MAX量のマイテラーゼを減らすこともできず、目を開けることにも疲れて

 

明日は無いかもしれないと漠然と感じていた私の、最後の希望でした。

​「そんなこと」が替わるとき

  「そんなこと」と思っていたことが

  救ってくれた

  さっきまで考えていた

  困難や努力は

  自分が生み出した

  幻だった

  そして、今では

  それらこそが「そんなこと」

  

自由になる

 ​薬が19年間

 血液に溶け込んで

 体の一部になっていた

 助けてもらってきたけど

 もう、お別れです

 もともと自分でできることを

 助けてもらって

 長く甘えていたようです

 自分でどうするべきか

 わかってきたので

 お別れです

 19年間ありがとう

 今日まで命をつないできたから

 気づいたことがたくさんある

 おかげさまです

 子供が自立するように

 薬から自立する

​ 責任と自由を手に

​体の変化

鼻呼吸を徹底するといっても、「鼻が通らないから」という理由で、

 

無理だと思いがちです。また、夜中も含めて、口をあいてしまうという

 

自覚症状がない場合もあります。​

実は、この4か月前に飛行機に長時間乗ったのですが、機内で全く鼻が

通らず、咬むこともできず、タオルを口に当てて絶望していたという

経験から、実行するにあたりかなりの本を読み準備をして臨みました。

ここでは、具体的に全部書ききれませんが、どんなにひどい症状でもや

 

りようはあると​いうことです。

とにかくスイッチを入れたように、全てを徹底して始めたのが、

2009年2月1日です。

​変化は、すぐ全身に現れました。

 何より、眼瞼下垂はあるものの、重く蓋を閉じられている

 ような圧迫感がなくなりました。

 どんどんすっきりして、要らないものを出していってる感じです。

まだ、3日目の朝、マイテラーゼをやめる決心をしました。

  マイテラーゼは、この頃には命綱であり、減らすことさえできずにいたのですが、

  もう、無くても生きられる と体が感じたのです。

​  それほど、睡眠・酸素・温度が、体を変えたことに感動しました。失敗する気がしませんでした。

身の周りをを整理し、2年間書いていた「もしも明日がなかったら」という日記も捨てました。新しい朝の為にです。

翌朝の爽快さは、言葉になりません。呼吸や、心臓の動きを不思議な気持ちで静かに体感していました。

  万が一、急に倒れた時の為、マイテラーゼを持ち歩くことも考えましたが、

  『それでは全く意味がない。今信じていることを自分で否定してしまうし、2度と薬をやめられなくなる

  との思いから、ストックしてあったマイテラーゼを全部処分しました。

​マイテラーゼをやめてから

まず、左目の動きが出てきました。

 

写真を2枚ずらしたように見えるだけではなく左目で見る物は、斜めに回転がかかっていました。

ですから、左目だけで歩こうとすると、道は、上方へ左奥へ、セピア色に進んでいて、まっすぐ歩くことさえで

 

きなかったのですが、その左目の視界が、ほぼまっすぐになりました。

頭の芯からひねられていたような、鈍い突っ張り感がなくなりました。

自由なんだと思いました。

この、自由な感覚は、体中で次々現れ、「生身の体」を感じました。

  薬は体を固くします。全身がほぐれていくように感じました。​

  薬は体を支配します。眼球だけではなく、喉や鼻・耳などそれぞれが自由になりました。

  薬は心を縛ります。コントロールして飲んでいたはずが、いつの間にか依存し頼り切っていました。​

​そして、3週間後に、高熱が出ます

 2月  21~23日 ・・・ 40~41度

    24~25日 ・・・ 37~38度

​高熱は自由への一歩

熱が出たら、直る兆しです。​

体が、治ろうとしているので応援します。

温かい布団で、仰向けで、口を開けずに、ゆ

 

っくりと呼吸に集中します。。

この時体に起こったことは、

 

かけがえのない体験です。

どこにあったのかと思うほどの膿がどんどん

​出てきました。

 

詳細は、ここでは、表現しきれません。

​ご容赦ください。

​重症筋無力症の治療はここから

ここまでは、<初めの一歩>です。

実は、これですっかり治ってしまうことも期待し

ました。それほど、劇的な3週間でした。

が、薬が完全に抜けたと実感するまでにも、

後で思うと、それなりの歳月が必要です。

病気自体の治療は、ここから、始まったのだと

​後で気づきました。続きのページをお読みくださ

 

い。

 「いつもぽかぽかしていましょう」

 太陽光を当てる治療の先生が

 たしか そう仰いました

 体温を上げることって

 思ったより難しくて 困っている時

 「なんとなくしっとりしているくらいです」

 と てのひらをグーパーして仰った

 その時私のてのひらは かさかさして

 両手でこすり合っていた

 体中 いつもぽかぽかしていようと

 

 それからいつも 思っている

bottom of page